小学生のころ
近所に
何かと私のことを気にかけて可愛がってくれるおばちゃんがいました。
当時おばちゃんとどんな話をしていたか
なんて全く覚えていません。
覚えているのは
おばちゃんの配達のお仕事について行っていたこと。
おばちゃんから誘ってくれていたのです。
きっと喜んでついて行っていたのだろうなと思うと、あらためておばちゃんの存在に感謝したくなりました。
昔を振り返って、
あっ、そう言えばあんなおばちゃんいたなぁ〜と思い出したくらいなので、
今私が歩いている人生に大きな影響を与えてくれた人という認識はありませんでしたが、
自分が住んでいるところの近くには、おばちゃんのように子どものことを気にかけてくれる人がいる
ということが無意識にも私の中のあたりまえとなり、私の価値観となっていることは確かかもしれないなと感じました。
というのも
子どもたちを見守る地域の人でありたいという思いはいつもどこかにあって
娘が小学生になってからは
毎朝登校する子どもたちには
「おはよう!いってらっしゃい!」
と声をかけるのが日課になっています。
私の父が家の前を通る子どもには必ず声をかけていたという光景も大きく影響しているとは思いますが、
もしあのおばちゃんの存在がなければ
もしかしたら
「近所のおばちゃん」は「とくに関わらない人」
という認識になっていたかもしれません。
そう思うと
あのおばちゃんは
私の人生に大きな影響を与えてくれた人になるのかもしれません。
いつのタイミングかは分かりませんが
たいわ室で出会うお子さまがこの先
「なんか話を聴いてくれるおばちゃんがいたな」
「30分間一緒に過ごしてくれたおばちゃんがいたな」
という記憶から
自分の身近にもそんな人(親、友だち、先生ではない第3の存在になる人)がいるかもしれないな
という認識や期待や希望を持ってもらえたら嬉しいなと思います。